日本一の温泉の源泉数と湧出量を誇る大分県。
大分駅から南へ徒歩約20分、小高い丘の上に眼病平癒にもご利益のある「松坂神社」があります。
松坂神社について
地域の鎮守として崇められている松坂神社は、欽明天皇の時代(539~571年)に創建されたといわれています。
豊後(現在の大分県)の国を治めていた大友氏十代の親世(ちかよ)公が夢枕でのお告げによりここを参詣し、応永元(1394)年に社殿を築かれたと伝えられています。
松坂神社は代々大友氏によって崇敬を受けていましたが、九州制覇を目指す島津軍府乱入により、天正14(1586)年に社殿が焼失し焼け野原となりました。
その後、寛永14(1637)年に藩主・日根野吉明によって旧社殿地に数百本の松を植樹して境内が再興され、さらに現在の社殿は昭和12(1937)年に改築されました。
松坂神社が鎮座している上野丘陵には他にも社殿が建ち、若宮八幡社・祇園社弥栄神社と共に「上野の三社」と総称されています。
眼病平癒にご利益のある「生目社(いきめしゃ)」
代々大友氏によって篤く崇敬を受けていた松坂神社。社殿の右手に「生目社」と呼ばれる社があります。
生目社は、宮崎県に鎮座する生目八幡宮(現在の生目神社)の分社として創建され、ご祭神に平景清(たいらのかげきよ)公が祀られています。
ご祭神である景清公は全国に眼病平癒にまつわる様々な伝説があり、ここ生目社にも残されています。
景清公は平安末期に平家の武士として仕え、勇ましく武力を振るう姿が恐れられていました。
壇ノ浦にて平家が滅亡し、日向(現在の宮崎県)まで落ちのびた景清公は、追討の難を逃れるために右目を抜き取り生目八幡宮に奉納しました。
しかし、幕府に捕えられ鎌倉に連行されると、左目も抜き、源氏に仕えることを拒絶したといわれています。
その後、日向に戻った景清公は生目八幡大神の霊験によって、眼病で苦しむ人々への祈りを続け、62歳でこの世を去ったといわれています。
また松坂神社の生目社では、「目」「め」「メ」を千文字、もしくは年の数だけ書いて眼病平癒を祈願する習わしが残されています。
また、松坂神社の前には高校があり、受験合格のために松坂神社に参拝に訪れる学生さんも多いのだとか。
景清公の伝説が残る松坂神社を訪れてみてはいかがでしょうか。
>アクセス
大分バス「上野丘高校前」下車 徒歩約5分
JR「大分」駅より徒歩約20分
>住所
大分県大分市上野丘2-12-14
>お問い合せ
097-537-5764(大分市観光協会)
>備考
【休業日】なし