坂本龍馬の生まれ故郷として有名な高知県高知市。
龍馬の銅像が立つ桂浜から約2キロのところに、眼病平癒祈願にまつわる逸話が残された雪蹊寺があります。
雪蹊寺について
雪蹊寺は、弘法大師によって延暦年間(782~806年)に開基されたと伝えられ、当初は少林山高福寺と呼ばれていました。
境内の霊宝殿は、鎌倉時代の仏師である運慶・湛慶父子によってつくられた毘沙門天やご本尊・薬師如来などの仏像が安置されたことから、「慶雲寺」とも称されました。
戦国の頃、廃寺となった同寺に、夜な夜な妖怪が現れるという噂がありました。ある時、この地を訪れた月峰和尚は同寺に宿泊し、夜に座禅を組んでいると、妖怪が現れました。
妖怪は、泣きながら和歌の下の句のみを詠み消えていったのだとか。
上の句ができず成仏できないと思った和尚は、次の晩も泊まって座禅を組み、妖怪を待つことにしました。
再び妖怪が現れ、和尚が上の句を詠みあげると、妖怪は二度と現れることはなかったといわれています。
そののち、戦国大名の長宗辺元親(ちょうそかべもとちか)の支援により、月峰和尚は同寺の住職となりました。
その後、臨済宗の寺院として再興され、元親の菩提寺となり、元親の法号より「高福山雪蹊寺」と呼ばれるようになりました。
※霊宝殿に安置されている16体の仏像は、国の重要文化財に指定されています。
雪蹊寺に残された眼病祈願の逸話
雪蹊寺は明治初めの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、再び廃寺となりますが、明治14(1881)年に山本太玄和尚によって復興したといわれています。
太玄和尚の弟子に、山本玄峰という後に雪蹊寺の住職となった人物がいます。
和歌山県に生まれた玄峰は、21歳の時に失明したことをきっかけに、裸足で四国八十八ヵ所霊場巡りに出ます。
玄峰は7回も遍路を繰り返し、第33番札所である同寺の門前で生き倒れになったところを太玄和尚に助けられました。
目の病気で悩んでいた玄峰は太玄和尚から「目が見えなくても、心眼を開け」と言葉を授かり、同寺で働き始めるようになりました。
勤勉に働く玄峰に感心した太玄和尚に仏門の道を勧められ、太玄和尚の養子となった後に同寺の住職となり、その後は全国各地の寺院復興や、諸外国も訪問し宗門の興隆に努めたといわれています。
太玄和尚と玄峰のエピソードにより、眼病平癒祈願のために参拝に訪れる人が絶えません。
境内の正面にある大師堂には、眼病祈願を行った人々によって納められた眼鏡の入った額が奉納されています。
太玄和尚と玄峰の眼病平癒のエピソードが残された雪蹊寺。
雪蹊寺では眼病平癒のご利益が授かれる他、病気平癒・安産子育てのご利益を授かることができます。
高知県を訪れた際は、雪蹊寺を訪れてみてはいかがでしょうか。
現代のご利益
雪蹊寺には、特別な奉納品として、眼鏡が収められます。
眼病平癒の祈願を叶えてもらった参拝者が、お礼に納めるのがならわしとなっている雪蹊寺では、喜びの声を届けに来た眼鏡が大師堂に奉納されているのを見ることができます。
この眼鏡は、日々、増え続けています。
>アクセス
高知県交通バス「長浜出張所」下車 徒歩約5分
JR「高知」駅より車で約25分
>住所
〒781-0270 高知県高知市長浜857−3
>お問い合せ
088-837-2233
>備考
【拝観料】志納【参拝時間】10:00~16:00