古くから海上・陸上の要所として栄える香川県・多度津(たどつ)町は、町の花に「桜」が制定されているなど、春には桜が町内を美しく彩ります。
四国八十八ヵ所霊場第77番札所「道隆寺」には、眼病平癒に霊験あらたかな薬師堂があります。
道隆寺について
この地を所有していた和気道隆(わけのみちたか)は、天平勝宝元(749)年に桑畑で怪しい光を見つけて矢を射ました。
実はその光の先には乳母がおり、誤って射とめてしまったことに嘆き悲しんだ道隆公が、供養のために桑の木で薬師如来像を刻み、堂宇を建立して安置したことが道隆寺の始まりといわれています。
大同2(807)年、道隆公の子・朝祐公は唐から帰国した弘法大師に懇願し、薬師如来像を彫造し、その体内に父・道隆公の像を納めて本尊としました。
その後、朝祐公は弘法大師から授戒を受けて2代目住職となり、七堂伽藍の建立し、父の名から寺名を「道隆寺」と名付けました。その後、自然災害や兵火などに幾度も遭いましたが、代々の住職によって再建されていきました。
また、道隆寺は観音霊場としての信仰も篤く、境内には約270体の観音像が安置されています。
薬師堂に残された眼病平癒のお話
ご本尊の薬師如来像は「目なおし薬師さま」と呼ばれ、眼病に霊験あらたかといわれています。
江戸時代、多度津京極藩を治めていた初代藩主の三男・左馬造公は、幼少の頃に目が悪かったといわれています。
母親は左馬造公を連れて道隆寺を訪れ、「どうか、公の目が見えますように」と薬師如来像に一心にお参りをしました。
数年後、目は快癒し、喜んだ左馬造公は医学の道に進み、その後、御典医(ごてんい:将軍や大名に仕える医者のこと)となりました。
特に眼科治療の名手として広く知られ、左馬造公は将軍や大名だけでなく、領民(領地に住む一般の人々)の診断も行い、多くの人々を病から救ったといわれています。
しかし、左馬造公にも寿命が尽きる時がやって来ます。
嘆き悲しんでいる領民たちに、「心配することはない。私を道隆寺の薬師様のお側に置いてくれ。
私の魂はここに留め、願いあれば薬師様と力を合わせて世人を救ってあげよう」と人々を救い続けていくことを誓いました。
領民たちは薬師堂の横に左馬造公のお墓を建て、そしてお墓とお堂「潜徳院殿」堂を建立し、左馬造公を祀りました。
その後、「潜徳院殿」堂で眼病祈願を行った人々が快癒したことから、参拝に訪れる人が増え、現代も眼病平癒のためにこちらを訪れる人が絶えません。
「め」という文字を数え年の分だけ書いて祈願する方法は江戸時代から続く祈願と同じで、また文字の書けない人は目のイラストを年の数だけ書いて祈願するのだとか。お札と祈願用紙は、お電話をすると送っていただけます。
自身の目が治ったことで医学の道に進み、眼科治療を極め、そして死後も人々の眼病が平癒することを願った左馬造公。
喜びのお手紙が集まる道隆寺
近年も、道隆寺を訪れて祈りを捧げ、手術が成功した人や、眼が良くなってきた参拝者の方々の喜びのお手紙が届いているのだそうです。
道隆寺には、大きな耳で愚痴を聞いてくれる「愚痴聞き地蔵」など心の広いお地蔵様も安置されています。
眼病平癒に霊験あらたかな道隆寺を訪れてみてはいかがでしょうか。
>アクセス
JR「多度津」駅下車 徒歩約15分
>住所
香川県仲多度郡多度津町北鴨1-3-30
>お問い合せ
0877-32-3577
>備考
【拝観料】無料
【納拝時間】7:00~17:00 参拝境内自由