神話のふるさと・宮崎県。
宮崎市にある「生目神社」は、古くから眼病平癒のご利益を求めて全国から参拝者が訪れています。
生目神社について
「日向の目の神様」として、眼病平癒の信仰が篤い生目神社。
古くは「生目八幡宮」と称され、明治3(1870)年に「生目神社」と改められました。主祭神に品陀和気命(ほんだわけのみこと:応神天皇と同一)と藤原景清公(ふじわらのかげきよこう)がお祀りされ、天喜4(1056)年に社殿が創建されていたと伝えられています。
亀井山の頂に立つ生目神社。こちらには、眼病にご利益のある湧き水があります。
社殿の建つ亀井山はシラス台地(鹿児島県と宮崎県に広がる火山性台地)で、吸い込んだ水が空洞にしたたり落ち、亀の手足・尾頭のように6ヵ所へと流れ落ちます。
シラス台地から湧くこの水は「御神水」と呼ばれています。御神水で目を清め、また御神水を家に持ち帰って、その水でお茶を沸かして眼病治癒を願ったと伝えられています。
そのことから、生目神社が眼病に霊験あらたかとされ、全国各地から眼病平癒を求めて生目神社を絶えず訪れるようになりました。
御神水の成分を調べられたところ、ホウ酸という眼科で洗眼する際に使用される殺菌効果のある成分が含まれていることが判明したのだとか。
また境内には、宮崎県の巨樹百選に認定された「イチョウ」、宮崎市指定天然記念物に指定されている「クスノキ」と「オガタマノキ」があり、さらに目に良いアントシアニンがたっぷり含まれた「ブルーベリー」が植えられ、緑に包まれた中でゆっくりと参拝することができます。
生目神社に残る藤原景清公伝説
景清公は平安末期から鎌倉初期にかけて生きた勇猛な武士で、源平合戦の際は平家軍として奮闘しましたが、平家は壇ノ浦にて滅亡しました。
景清公は戦禍から脱出し、源氏の棟梁である源頼朝を討とうと企てましたが、源氏の武士に捕えられました。
景清公の忠誠心と武勇を惜しんだ頼朝公は、日向(現在の宮崎県)の別当として赴任を命じます。
しかし東国から離れた日向でも源氏の繁栄を見聞きすることに苦しんだ景清公は、自分の両目をえぐりとり、投げ捨てました。
その投げた両目は生目神社の松(目かけの松)に刺さったため、祀られたといわれています。
景清公の両眼が刺さったといわれる松は、現在でも境内に残されています。
生目神社の御利益とは
生目神社には、白内障などの手術を受けるにあたって祈祷を受けに全国から参拝されるそうです。
無事に手術が成功したとか、眼が良くなったという嬉しい報告をしに再び訪れる方も多いのだと、神主さんが教えてくださいました。
全国から眼病平癒のご利益を求めて参拝者が絶えず訪れる生目神社。宮崎県にお越しの際は、生目神社を訪れてみてはいかがでしょうか。
※景清公は平家に仕えていたことから、平景清公とも呼ばれています。
>アクセス
宮崎交通バス「生目」下車 徒歩約15分
>住所
宮崎県宮崎市大字生目亀井山345番地
>お問い合せ
0985-47-8272
>備考
拝観料:無料 拝観時間:自由(社務所8:30~17:00)