奈良盆地が一望できる高取山(たかとりやま)の中腹にある壷阪寺。
お寺のある奈良県高取町は古くから「くすりの町」として知られ、今も製薬が盛んに行われています。
今回は、目の観音様が安置されていることで有名な壷阪寺をご紹介します。
壷阪寺について
西国三十三ヵ所観音霊場の第六番札所である壷阪寺(正式名称:南法華寺)。 大宝3(703)年に奈良・元興寺の弁基(べんき)上人が高取山で修行をしていたところ、愛用の水晶の壷を坂の上の庵に納め、感得した十一面千手観音像を刻んでおまつりしたことが、壷阪寺のはじまりといわれています。
目の観音様 ~十一面千手観音菩薩像(じゅういちめんせんじゅかんのんぼさつぞう)
眼病にご利益のあるお寺として知られている壷阪寺。 本堂である八角円堂には十一面千手観音菩薩像が安置され、「目の観音様」として篤く信仰されています。観音様といえば普通は目を閉じた表情ですが、壷阪寺の観音様は大きく目を開き、参拝客を温かく迎えてくださっているかのように見えます。
古くから、桓武・一条天皇をはじめ、歴代の天皇がここに眼病治癒祈願に訪れるようになったと伝えられています。
壷坂霊験記(つぼさかれいげんき)
さらに、壷阪寺には夫婦愛の物語が残されています。 今から300年以上昔、盲目の夫・沢市(さわいち)と妻・お里の夫婦が暮らしていました。
沢市は琴三味線を教え、お里は目の見えない夫を献身的に支えていました。
しかし、沢市はある不安を抱いていました。
それは、お里が毎日朝4時ごろに家を抜け出し、どこかに行っていることです。
沢市はお里が浮気をしているのではないかと疑います。
沢市が問いただしてみると、実はお里は3年もの間壷阪寺を訪れ、夫の目が見えるように祈りを捧げていたのです。
沢市は妻を疑ったことと、目が見えないことで不自由な暮らしをさせていることで自分を責め、谷へ身を投げてしまいます。
夫が身を投げたことを知ったお里も、その後を追うように同じ場所から身を投げました。
すると、その様子を見ていた観音様が二人の命を助け、なんと沢市の目が見えるようになったそうです。
以降、二人は生涯仲睦まじく暮らしたといいます。
この物語はのちに「壷坂霊験記」として歌舞伎でも上演され、これがきっかけに、目にご利益のあるお寺として全国的に広く知られるようになりました。
「壷坂霊験記」は、今日でも歌舞伎の演目として上演されています。
ここ壷阪寺は四季折々の風景が味わえるとともに、全長20メートルの天竺渡来大観音石像などたくさんの石像が安置され、その他にも礼堂や三重塔などの重要文化財の建物も拝観できます。
また、壷阪寺は社会貢献活動にも積極的に取り組まれ、昭和36(1961)年に日本で初めての盲目の人たちへの福祉施設の運営を始め、現在も交流の深いインドへの海外奉仕活動などが行われています。
壺阪寺の御利益エピソード
『長く目の病気を患い、いずれ失明になると言われていた眼は、今も元気で見えています。』
『観音様の御姿を見て、病気に負けない心を持つことを頂いた。』のようなお話をご参拝された方々よりお聞きいたします、と、住職さまが教えてくださいました。
目の観音様へのご参拝、そして石像の見学に壷阪寺を訪れてみてはいかがでしょうか。
>アクセス
近鉄電車「壷阪山」駅下車 車で約10分
>住所
奈良県高市郡高取町大字壷阪3番地
>お問い合せ
0744-52-2016
>URL
http://www.tsubosaka1300.or.jp
>備考
【拝観料】大人600円、小人100円【拝観時間】8:30~17:00