「楽しく走ればいい」から、パラリンピック出場を目指す選手に!後ろ向きな彼女が変わった理由とは?

  • 大江 絵美
  • 編集長
ブラインドランナーと伴走者

生まれつき目が見えず、小学生の頃は走るのが特に好きではなかったという井内奈津美さん。そんな彼女は、中学から高校までの6年間陸上部に所属した後、7年間のブランクを経て、パラリンピックを目指す競技者へと成長しました。

高校時代には世界選手権大会で銀メダル、社会人になってからは日本新記録達成など、輝かしい成績を残している彼女ですが、陸上を再開した当時は「楽しく走れればいいや。競技は無理」と、ちょっぴり後ろ向きだったそうです。

何がきっかけで前向きに変わることができたのか、井内さんにインタビューしました。


井内 奈津美(いのうち なつみ)
1989年、京都生まれ。
生まれつき目に障がいを持つ。2015年に株式会社わかさ生活にヘルスキーパー(企業内理療師)として入社。学生時代は中学・高校と陸上部に所属し「視覚障がい者京都マラソン大会」の記録更新や世界選手権等に出場経験を持つ。
社会人になってからも、日本新記録を樹立するなど活躍中。現在は、JBMA(ブラインドマラソン)強化選手として、パラリンピック出場を目指す。


陸上を始めた理由は「目が見えない」から!?

井内奈津美と大江絵美編集長対談

大江編集長(以下、大江):今日はよろしくお願いします。お互いわかさ生活の社員なのですが、このようにお話しするのは今回が初めてですね。どうぞよろしくお願いします。

早速ですが、陸上を始められたきっかけから教えてもらえますか?

井内奈津美さん(以下、井内):私は保育園からずっと、一般の園や学校に通っていました。私の中学校では「どこか必ずクラブに入る」と決まっていたので、私もどれにしようか考えたんです。

文化系か運動系かというと、運動系がいいな。文化系のクラブって大人になってからもできそうだし。でも、球技やチームプレーは無理そう…。「じゃあ、陸上部か」って。消去法で決めた感じです。

大江:消去法で陸上部って、面白いですね(笑)。なんだか私たちと一緒の感覚で驚きました。私はもっと目が見えないから悩んだり、苦しんだりするものなのかと思っていましたから。

中学・高校の部活動はいかがでしたか?

井内:目の見えない部員が入るというのは、陸上部始まって以来の出来事でした。みんなも「伴走」は初めてだし、私自身「伴走してもらって走る」のは初めての経験。お互いが手探りの状態でしたね。

高校は、中学時代の先輩や同級生がいたので、自然に入部した感じです。ただ、練習量がすごく多いクラブで…。月間600kmほど走るという実業団なみの練習でめちゃくちゃしんどくて、最初の1ヵ月くらいは正直後悔していました。

夏の合宿が終わった頃からようやく練習に慣れて、みんなとも打ち解け、楽しくなっていったんです。高校3年生のときには、ブラジルで行われた第3回IBSA世界選手権大会1500mで銀メダルを取ったこともあり、陸上は「やり切った」という思いでしたね。

大江:世界選手権大会で銀メダル! すばらしいですね。じゃあ、その流れでパラリンピックを目指すことになったんですか?

井内:いえ、そこで陸上はやめたんです。大学進学で東京に行きそのまま就職したことで、走ることもしていませんでした。

大江:そうなんですか、もったいない気がしますね。

井内:私の中では陸上でパラリンピック目指すとか、全然想像できなくって。高校でめちゃくちゃ練習して結果も出ましたが、競技者として頑張るイメージはなかったんです。

7年のブランクを経て復活するものの、気持ちは後ろ向き…

大江:では、社会人になってから、もう一度陸上をするきっかけがあったわけですか?

井内:転職して、京都に戻ってきたことがきっかけです。

京都に視覚障がい者のランニングチーム「賀茂川パートナーズ」があることを知ったんですが、最初は見知らぬ人ばかりのところに行くのは正直気がのらないなぁと思っていたんです。

すると父親に「何言ってんねん。お父さんがついて行くから、とりあえず行きなさい」と半ば強制的に行かされました。

私の陸上人生って、常にノリと(周りの?)イキオイできたような感じです。

大江:ノリとイキオイ(笑)。お父さん、すごく積極的というか…厳しいですね。目が見えない娘をもつ親なのに、すごいと思いました。

井内:あ、そうですか? 小さい頃から、お父さん、お母さんともそんな感じだったんで、慣れちゃったのかも。いつものことなんですよ(笑)

大江:陸上復帰後は、すぐに競技の道へ進まれたんですか?

井内:いえいえ、とんでもない! とにかく高校のときのような練習量はこなせないと思っていたし、7年間もブランクがあって早く走れるわけないと思っていたんです。だから最初は、楽しく走ればいいや~という程度だったんですよ。

大江:でも高校のときに輝かしい成績を残されていますし、競技者としての闘志みたいなものがわいてくることはなかったんですか?

井内:高校のとき、世界選手権で銀メダルがとれたとはいえ、自己ベストをどんどん更新するほど調子がよかったわけではないんです。正直、伸び悩んでいた時期のほうが長いくらい。「こんなに練習しているのに、タイムが伸びないなんて、私はもう無理なんだろうなぁ」と思っていたんです。

大江:へぇ~。それは意外ですね!

井内:しかも社会人となった今は、どうがんばってもあの練習量はこなせないし、体力的にも無理。だからこれ以上早くなることなんてないし、競技には背を向けていたかったんです。ほんと、後ろ向きですよね。

人との出会いと素直な気持ちが、井内さんを変えた!

ブラインドマラソンゴール

大江:そんな井内さんが、競技の道に進まれることになるわけですが…。きっかけは何だったんですか?

井内:人との出会いが大きいですね。

陸上の練習を復活して4回目のときでした。パラリンピックのメダリストである和田伸也選手に、「井内さんは、競技やらないの?」って言われたんです。そのとき、「出ません! もう自己ベストなんてきっと出せないし、出たところでみじめな思いをするだけですよ」と即答しちゃったんです。

そしたら、和田選手に「じゃあ、トラック競技じゃなくて、フルマラソン始めたらいいよ。最初のレースは必ず自己ベストがでるよ!」と言われて…。

大江:確かにそうですね(笑)。それで、どう答えたんですか?

井内:フルマラソンなんて走ったこともないし、未知の距離だったのに、何でだろう…。「それも、そうですね」なんて答えちゃったんですよ。そしたら、伴走者の方を和田選手が紹介してくれることになって。

大江:すごい展開ですね。そこから「競技の世界」にのめり込むわけですか?

井内:いえ、まだまだ。和田選手に言われたから始めた~くらいのノリで。次のステップに上がれたのは、伴走者である寺山さんの一言なんです。

初マラソンは4時間ちょっとで完走したので、2回目のマラソンは4時間切りを目標にしようと思っていました。練習も調子よくて、私もイケるかもと思っていたんですが、レースの5日前になって、寺山さんからメールがきたんです。

大江:どんなメールですか?

井内:「今、すごく調子いいから、ブラインドマラソン協会のJBMA強化選手になれるタイム3時間45分を目指せると思っているんだ。このタイムをクリアして、パラリンピックを目指さない?」って。

もうビックリですよ! たかが15分、されど15分ですから。でも断れる雰囲気もなく、「分かりました。やれるだけやります」って答えちゃったんです。

大江:それがすごい結果を生むことになるわけですね?

井内:はい。何と3時間42分で走れたんです。鳥肌が立つほど感動したのは、初めての経験でした。周りの人もすごく喜んでくれて、「これから世界が変わるね!」なんて言われて…。それでも、まだ完全に前向きになれたわけじゃないんですよ。

ただ、JBMA強化選手になってパラリンピックを目指すってことは、もっとちゃんとした練習をしなければと新しいコーチについてもらうことにしたんですね。コーチに高校時代のことや、現状を伝えると、今度は「トラックレースもやってみよう」ということになったんです。

本当の意味で「競技者」になった瞬間

大江:みなさんとの出会いもですが、井内さんが毎回とても素直に言葉を受け入れてこられたのが転機になっているように思います。

とても自然な流れで、競技者への道を一歩一歩進まれているように感じますね。

井内:決定的だったのは、1500mのレースで日本記録を出せたことでした。高校のときの半分くらいの練習量だったにも関わらず、タイムが伸びだした時期。「日本記録を目指そうよ」と周りに言われ、イヤとは言えない状況の中、チャレンジした大会でした。

そして走ってみると、「日本新記録」と「優勝」という栄冠に輝くことができたんです。プログラムに名前はのるし、放送で自分の名前が呼ばれるし、周りのみんなもすごく喜んでくれる。この感動をもっと味わいたい! これが「自分が競技者になった瞬間」でしたね。

大江:「競技者になった瞬間」すてきな言葉ですね!

目が見えないからこそのチャレンジ!実はポジティブな心の持ち主

井内奈津美

大江:今はパラリンピックを目指してがんばっているわけですが、井内さんにとって「パラリンピック」って何だと思いますか?

井内:「目が見えないからこそ目標にすることができたもの」でしょうか。

例えば、市民ランナーの人が「オリンピック出場を目指す」と言うと、だれもが「そんな無茶なことを」と思うでしょう。

でもパラリンピックは認知されていない分、母数が少ないからハードルも低い。私が目指すといっても、だれも笑ったりしないし、応援してくださいます。

私は「目が見えないのにがんばっているね」とは言われたくないんです。今までずっと「目が見えないからこそできること」を見つけて、チャレンジしてきたから。そんな想いの延長にあったのが、東京パラリンピックだったといえますね。

大江:ハンデをチャンスと捉えているんですね!
井内さんはずっと後ろ向きだったと言っていますが、私から見ると、すごく前向きだし、ポジティブだと思います。雰囲気も、すごく明るいし。

井内:「明るい空気を作る」ってことは、意識してますね。
練習がうまくいかないと、チーム全体がお通夜みたいな雰囲気になりがちなんです。「ちょっと失敗したけど、次はこうやってみようよ」という感じで、最後は明るい雰囲気で終わりたい。乗り越えていくしかないんですから。

明るい空気も暗い空気も、連鎖するんです。どうせなら「明るい空気」が連鎖して、いつも楽しい雰囲気で練習できるほうがいいですもんね。

大江:なるほど。「明るい空気の連鎖」を、練習以外の場でも自然に作っていらっしゃるのかもしれませんね。

目が見えないからできることが、必ずある!

大江:ところで、今世界でおよそ13億人の人々が何らかの形で視力障害をもっているといわれ、その多くは50歳以上とされています。また目の見えない人の数は、現在3,600万人のところ、約40年後の2050年には1億1,500万人まで増加すると、イギリスの医学誌で発表されました。

「今まで見えていたのに見えなくなった高齢者」のショックは大きく、うつになる人も出るなどの問題も起こっています。

そんな方たちへ、井内さんからメッセージを送るとすれば、どんな言葉でしょうか?

井内:目が見えなくてもできることって、必ずあります。だから、まずは趣味でも何でもいいから、できそうなことを見つけて、やってみてほしいですね。「やっぱりダメだった」と思えば次のことにチャレンジすればいいし、それはダメでも次はこんなことができるかもって、新しい何かを見つけることができるかもしれないと思います。

一番よくないのは、「見えないこと」を言い訳にして、何もやらないことです。もちろん、見えないからできないことってあります。アルバムを見て共有できないことや、マンガが読めないのって、残念だなぁって思いますよ。

だけど「見えないからこそできる」こともあるんです。私のパラリンピック挑戦もそうですし、目が見える人より耳がいいとか、停電になっても困らないのは「見えないからこそ」の特権です。

落ち込まずに「できることを探して、やってみる」。年齢だって関係ないと思います。ぜひチャレンジする心を忘れないでほしいですね。

ハンデはチャンス!今できることを前向きに取り組む

井内奈津美と大江絵美編集長

パラリンピックを目指す選手というと、ものすごい人のように感じますが、井内さんからは、そんな「すごい人!」というより、「明るくポジティブで楽しい人」という空気が漂っています。

それは、彼女が「目が見えないこと」をハンデと捉えず、常に今目の前にあるチャンスをつかみ、前向きにコツコツと取り組んできたからではないでしょうか。

すごいことなのに、ご本人は気づいていらっしゃらない…。そこも井内さんの魅力なのだと感じました。

パラリンピック出場に向けて、これからもがんばってくださいね。応援しています!

この記事を書いた人

編集長

大江 絵美

わかさ生活みらい研究所研究員。健康食品管理士。岐阜薬科大学薬効解析学研究室に4年間出向し、眼のこととビルベリーの健康効果についての研究を行ってきたスペシャリスト。眼のこと、サプリメントの素材について新しい研究や調査を行っています。

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